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Gレコ 最終回 今見た その2

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■また見た。ガンダム大地に立てない!でもシャンクは立ったよ!っていう構図が良いなぁ。人と機械の共存を描いて来たけれど、そろそろガンダムは捨てて良いだろう的なニュアンスと受け取った。平坦な道を走ってる時は、何だってこんな乗り物酔いが激しそうな物をバイク代わりにしてるんだと思ってたけれど、こういう山道とかを登れるのは、二足歩行機の利点をちゃんと演出してるなって感動しちゃった。

■話は少しずれて、珍しく日記めいたことを書いてみる。最近、諸事情で姉夫婦と会う機会が多いのだけれど、その夫さんの方が40代で1stガンダム大好きっ子なのだ。いつものように、雛壇芸人がやるような痛いガンダムトークに花を咲かせていると、たまたま「最近の若者向け漫画には、ついて行けなくなってきた」みたいな流れになったので、相手がガノタであることを良い事に、愚痴半分に「若い子は今、富野由悠季っていうと『誰?』とか、『ああぁ、進撃の悪口言った人ね』とか返すらしいっすね」と振ってみたのだ。実際仕事でも、ここ10年くらいの間に、ガンダム見たことない子と遭遇するケースも少なくはなかった。すると期待していた通り「ガンダム見ないで何見るんだ!」と返して貰えたのだ。僕は嬉しくなり「そうですよね!」と満面の笑みで返し、「今、富野さんの新作が放送されてるんだけれど、やっぱり若い子には興味ないらしいっすね」と続けた。すると「へぇ~、今やってるんだ?」と返され、「あれ?え、えっとぉ……レコンギスタガンダムっていうの、知りません?」と、まごついていると、「ううん(首横振り)全然」と返されたのでした。

そりゃあそうだよねぇ~(笑)


■ちなみに、ご夫妻は『あの花』は全話見たそうです。泣いたらしいです。知ったきっかけは「ニュースで紹介されていて、仕事で馴染み深い所が舞台だったから」だそうです。そりゃあそうだよねぇ~(笑)
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Gレコ 最終回 今見た

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■途中色々文句も言ったけれども、その文句が出る理由も全て作り手の狙い通りだと解ったし、大体の複線も回収してくれたと感じたので、作品としてはかなりまとまってる方じゃないかと。一見すると、とてもそうは見えない所が、また富野作品の無骨さでもある。

■とにかく登場人物の言動や物語の展開が行き当たりばったりで、「結局お前は何がしたいんだ?」的な違和感が付きまとうのも、以前に述べた通り、まとまりのない不安定な世界を描いていたと確信できた。その上で最終回のサブタイトルが『大地に立つ』なのもそういう意図があるんじゃないかな。メタ的な視点で言えば、『GUNDAMのレコンギスタ』というタイトルは、ファーストガンダムの第一話のサブタイトルをもってしてレコンキスタ(再征服)した、という感じでしょうか。 「世界が狭い。同じ所を行ったり来たりしてるだけじゃねーか!」「後半はなんか背景がずっと真っ暗だな!」という鬱憤も、ラストシーンの自分の目で地球を見て回ろうと息巻くベルリのとった選択へのカタルシスに繋がっていたと思う。出発場所が日本なのも我々に馴染み深い景観を選んでくれたことで、より実感を得られた。しかしそれにしたって、長すぎる前フリだった。乱暴に言ってしまえば、純粋培養の少年にロードムービーやらせたいが為に、「間違い続けさせた」。旅立ちの物語ではなく、旅立ちに至るまでの物語だったんですね。

■ものすごく俯瞰的、且つ、自分を棚に上げた位置からのもの言いをしてしまえば、この物語の構造に文句を言ったり、違和感を喚起させられるということは、我々の現実に対する違和感にそのまま返ってくるんじゃないかと。「そうじゃないでしょ!こうでしょ?」と思えるのは、まだちゃんと考えてる方で、これをカッコイイ!とか楽しい!とかで割り切れちゃうのはちょっと違うと思う。ガンダムだから、とか、富野アニメだから、とかで盛り上がってちゃダメでしょ?みたいな警鐘を鳴らしてるような、そんな感触を得ました。でも、こういう誠実過ぎる表現方法だと、結局「ガンダムだから」「富野だから」で見るような人しか、そもそも見てはくれないんじゃないかな富野さん…。でもそういう不器用な所がやっぱり大好き。

■放送は終わってしまうけれど、寂しくはないよ。だって爺ちゃんの言葉はいつまでも残るもの。過去作だって何度も見返してるもの!←「こういうオタク大嫌いです」

Gレコ雑感 中盤まで その4

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▲自室で一人になるや否や「わははは」と笑い出すウィルミット・ゼナム。狂いたい時に狂ってしまえればどんなに楽だろうか。と、下戸な自分はたまに思ったりする。

■かなり印象に残ってて好きなシーンです。厳格で周囲に規律を守らせることを徹底していた理知的な女性が、いきなりコレである。ハッキリいって気持ち悪い。たぶんウィルミット自身もそう思ってるんじゃないかな。

彼女の立場を簡単に言ってしまうと、地球全体のエネルギーを管理する役職のトップな訳だから、気が遠くなるような重圧であると思う。だから宗教にも安らぎを求めるし(そもそも管理を円滑にする為の宗教だろうから、その成り立ちを考えると無理もないと思います)、それが正しいと信じるしかない。そうでもしないとやってられないのでしょう。彼女の厳格さはそういった理由からくるものだと思われます。

しかし、現実では武器を持った男達がはしゃぎ出し、彼女の大事にしていた「安定」がどんどん奪われていく。じゃあどうするのか?とした時に、彼女なりの抵抗が「自分も安定を捨ててみる」だったのではないでしょうか。これは半ば責任放棄にも近い逃避とも言える行為なので、自分なりに勢いをつける為にちょっと狂ったフリしてみたんじゃないかな。逆境に強いのか弱いのか解らないけれど、この後の言動を見ていると、とにかく他人には任せておけないという彼女の気丈さも窺えます。

■彼女の「安定」が脅かされる理由のトリガーとして大きいのが、手塩にかけて育てたと思われる愛息子ベルリの逃亡です。親の苦労も知らず海賊の女性にホイホイついていってしまった少年の真意などは介在する余地もなく、武力を行使したい男達は「誘拐された貴女の息子さんを取り戻す為ですよ?」と、彼女の足元をみるような形で、「安定」を奪っていくのです。

そんな現状に我慢ならない彼女は、息子を取り戻す為に、みっともない子芝居まで打って宇宙ステーションを飛び出していきます。あくまで事故に見せかける所が後々の為の「保険」とも観れて、狂っている中にも狡猾さを忍ばせる一筋縄ではいかない憎たらしさには愛嬌すら覚えます。


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「あの光は爆発?あそこにベルがいる!!」

■えーっと、これが息子を助けに来た親の顔でしょうか。彼女にとって、今の息子は自分の安定を脅かす「害」になっているわけですから、それを取り除きに来たという真意がこのカットに表れていると感じました。あくまで息子にはキャピタルガードという安定した職に就いて、自分の老後も安定させてくれる存在であって欲しいのでしょう。彼女にとってベルリとは良くも悪くもそういう見通しの上で大事にしている息子なのかもしれませんね。

なんで僕がそんな風に思うかというと、やはり劇中の描写から感じることです。消息の解らぬ息子に対して心配するでも平静を失うでもなく、周囲の状況の変化や己の常識が覆されていくことに憤慨するばかりで、とてもベルリ個人に対して意識が向いてるとは思えなかったし、彼を迎えにいく時もビスケットのお土産を忘れたことなんぞを気にしているのだから。本人のことを考えるなら、再会した暁には頬の一発や二発叩いた上で、抱きしめてやればよいと思うのだけれど、上記したような友達感覚とでもいうのか、ペット感覚とでもというのか、生の感情で接することがないあたりで、ベルリも母に対して距離を感じているのではないかとも思えます。

■やっとのことで息子に再会したのも束の間、感情の思うままに喚き散らし帰ることを強行するといった類の、お涙頂戴劇を観れるかも?という期待を余所に、このお母さんは、穏やかに息子と語らい、すぐさまアメリア軍の代表と会談するお仕事モードに入ってしまいます。この期に及んでも、あくまで自分の立場を弁えて、大人らしく取り繕うサマを観て「アンタ何しにここまで来たの?」と思わせてくれるズレた感覚。それは、この親子間での意識のズレとも似ているし、感情を剥きだす事の難しさというドラマにも感じられる。それが面白いかと言われるとあんまり面白くはない。だってここまで整理しないと筋が通らないんだもの。

おまけ
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「内緒の話なんだけどぉ。ベルって貰いっ子なんだって~」

ふーん、そ、そうなの…? 第9話で女の牽制から放たれた一言、いいよね。いや、メタ的な意味ではそうだろうなとは予想してたけど、だからこの親子は余所余所しいっていうんじゃ、なんだかちょっと寂しいなぁ。

Gレコ雑感 中盤まで その3

■前回の記事で「不安定を描いてる」とか言ったけれども、安定を手に入れる為には不安定を積み重ねていくことであるというのが、凡人である自分の考え方であるからストーリーに共感はできる。なんだかんだ言って、俯瞰的に見ればメガファウナのクルーの行動は正しいことに繋がっていると思う。ただ、それは見てる側が、劇中の情報を理屈でもってして整理しているからで、視覚情報として入ってくる印象ではやっぱり行き当たりばったりで考えナシみたいに見えるのは事実。主人公のベルリも「どっちを向けば明日があるんだ!?」なんてナレーションしてる始末で、それはこっちが聞きてーよ!というツッコミ待ちでもあるのだろうし、受動的に視聴するんでなく、色々考えて欲しいということだとは思うんだけど、もうそうなってくると娯楽としてはどうなんだ?という感情になってしまうし、なんだか卵が先か鶏が先か、みたいな禅問答してるような気分に陥ってくる。

■過去の富野作品では、色々な所に飛び回って世界(舞台)全体の情報が自然に掴めるように配分していたけれど、今作に関しては、舞台は南アメリカの一部を上下に行ったり来たりしてるだけで1クール使ってしまったし、世界情勢や軍隊の規模などは登場人物の口から出てくる単語で勝手に想像するしかない。劇中では「想像力がない」だとか「あいつは解ってない(俺は解ってるけど)」というニュアンスの台詞がよく出てくるけれど、発言した本人すら、ちゃんと物が見えているか怪しいのだから、やっぱりそういう滑稽さを描写してるんだろうな、と思う。仮に、背景を用意する制作費がないので海と空と宇宙で済む場所をうろついているという制作上の事情があるのだとしたら、かなり前のめりな誤魔化し方をしてると思えるし。

■というわけで、あけましておめでとうごさいます。今年はGレコに習って、とにかく考える前に動いてみせるということを目標にしてみようかな、なんて思ってます。どんどんみっともないものを積み上げていけると理想。

Gレコ雑感 中盤まで その2

■今にして思えば、デレンセン大尉は非常に安定した人だった。仕事は真面目でそつがなく、大人としての威厳と包容力があり、不等な持ち上げ方をされた時は「お祭騒ぎにしやがって」と自嘲する客観性もあり、戦闘でもG-セルフの謎パワーに圧倒されるまでは負け知らず。にも関わらず、「俺の頭でっかちの作戦のせいで!」と仲間が死んだことに涙する情の厚さも備えていた。

それだけに、不安定を描いている(と、思われる)この作品的には、「要らない人」だったのかなぁ…なんて思ったりしました。

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▲顔の四角さも、彼の安定性を語る上で欠かせない要素の一つだ。

Gレコ雑感 中盤まで



■歌詞はともかくジャカスカ攻撃的なリズムだったOPも後期ver.になって柔らかいイメージになり良い感じ。というか、聞いてると泣けてくる。何度も見ちゃう。大好き。そして、この期に及んで公式MADな省エネっぷりもエネルギー問題を扱う作品としては正しかったりするのかー!?

■お話の内容の方は何とも行き当たりばったりというか、人物の思考も世界観もイマイチ全容が見えづらくボヤけている。登場人物の中でも取り分け「大人」は、接触する相手に対して、ニコニコしながら腹の底では見下してるような節が強く、大人の老獪さというより、なんだかどちらも滑稽に見える。視聴者としてはキャラクターの「後ろ盾」になるものがイマイチ実感できないからだ。今までの富野アニメには当然の如く根付いていた人間味の表現というより、「定まるものがない」ように演出しているのだろうか。未来がボヤけていて決定的に信じられるものがない。そんな時は自分が一番正しいんだと開き直るとちょっと気が楽になったりする。そういう気分は、情報だけが先行しがちな「夢に嘆く時代」らしさとして、なんとなく実感はある。そんな大人達とは対極的に、真実に近づくにつれ正気を取り戻していくラライヤや、人と人との繋がりこそが大事なのだと実感を得ていくベルリ達若者を見ていると、何となく伝えたい部分が見えてきたような気がする。

■厳密には大人と若者というカテゴリ別けみたいな意識も取っ払っていいように思う。クリム・ニックやマスクなんかは前述した「狡猾なようで滑稽」を体現してる代表だと思うし、かといって政治を任されている年輩連中のような妥協や割り切りも見えず希望という活力に満ちている。その年輩連中だって黙っているかというとそうではなくて、各陣営の代表格が進んで前線に出張ったり動き回る様子を見ていると、なんだか本当に、サッパリしない、歯切れの悪い、猥雑なパワー溢れる作風だと思う。最もそれが富野作品だと言われれば終わりなのだけれど、今作では特にそれを強調して描いているように思うんですよね。人物像というものを型にはめて欲しくないという意識が働いているというか、それだけルーティン化した思考にカウンターを入れたいんじゃないかと邪推してしまう程度には。

■番組が始まる前から「20年後に理解してくれるでしょう(笑顔)」なんて言い切っていたのもあって、今後このアニメの世界観が今よりもっと実感をもって迫ってくる時代がくると想定してのことなのでしょう。改めてそう言われると憂鬱。だけどもだからこそ頑張れよっていう気分が作品から匂ってきますな。うーん、なんだか単純な娯楽としては微妙なんだけど(やたら時間が割かれる戦闘シーンのアイディアなんかも過去の富野アニメを見てきた者なら「もうあきたよ」というものばかりです)先人がこういう気高い心構えを示してくれるというのは後に続くものとしては安心感がありますね。「安心してる場合か!」なんて言われちゃうか。

Gレコ雑感 画で示す物語の感情

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「…艦長!ベルリ・ゼナムは休ませてください」

■第6話『強敵、デレンセン!』終盤。己の理想に真っ直ぐな余り、周囲に当り散らす事の多かったアイーダが(恐らく)初めて見せた他人を気遣うシーン。この背景には第5話終盤で彼女が明確に意識として持ち始めた「国を率いる者の責任」があるのでしょう。

「想い人を殺した男」として、受け入れることを許せない相手であるベルリを褒め称えねばならなかったアイーダ。己の誇りと死者への尊厳を「現実」で塗り固める姿は、大人としての一歩を踏み出した瞬間であると感じました。異物を受け入れることの痛みに泣き崩れる姿は悲壮感たっぷりですが、エレベーターが「登り」の描写であることが、心理的に「上昇」を示すシーンとして働きかけていたと思えます。これが逆(降り)だったら絶対にそうは感じないでしょう。

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「姫様、聞こえますね!?ベルリ少年をG-セルフに突っ込んでやってください!」
「え?それは無理!無理ですよ!」
「戦闘中は好き嫌いは言わないでいただく!」

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これなんかもう、そのままですよね。うん。下世話な意味も多分に含んでいると思われます。


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落ちて行くG-セルフを海賊軍が取り囲む(迎える)。「仲間」なんて台詞はお仕着せで、嘘臭くなってしまうことを画で語ることで、感情伝達におけるクッションの役割になり語り口が柔らかくなる。目で観て感じる、映像作品のお楽しみってこういう部分なんだと改めて感じさせられます。

Gレコ雑感 死がもたらすもの



■ベルリがアイーダとの軋轢を生んだ最も大きな要因の一つに「カーヒルを殺した」という事実があります。しかしベルリは人を殺した事よりも、「アイーダに対する借りを作った」という意識の方が大きいようで、自身のやった事に嫌悪感を抱くでもなく、悪びれるでもなく、「借り」であると、ある種の割り切りさえ感じさせる立ち居振る舞いを見せてきました。カーヒルはベルリにしてみれば顔も知らない人物ですから、ある意味当然と言えばそうなのですが、自分の生理的な観点からすると少々「意識のズレ」のような感触がありました。

■しかし、第6話『強敵、デレンセン!』にて、ついにベルリは知人を手にかけてしまいます。その事で今まで希薄だった「人を殺す」という意識が明確に覚醒したようです。ラストシーンで「うそだ!」と慟哭するベルリは、このような事実を受け入れ難い生き方をしてきたであろう事が過去の言動の節々から窺えます。

ベルリはこれまでに「母から軍隊設立については知らされてない」と度々発言していました。しかし、第6話劇中のベッカー大尉の台詞からは、アメリアとゴンドワンの間では既に20年という長期に渡り紛争が続いてることが明かされます。そんな状況でも、軍備の拡大に反対するウィルミット・ゼナムと、その母に抵抗がないベルリが居たのでしょう。 しかし、アメリア軍は艦隊戦を展開し、キャピタルアーミィはクラウンの中継点に過ぎなかったアンダーナットを軍事基地に改修。そこから発進したMSに遭遇したベルリは、その実情を目にして「母さんはキャピタル・アーミィの事を知らな過ぎです」と怒りを露にします。が、同時に、現実を知るのが遅過ぎた自分への憤りもあったのかもしれません。

彼は第1話でも、女の子を引っ叩いたデレンセンを見て「そういう気分でいるから殺し合うような事が起こるんです」と、一見すると正義感に溢れる純粋な少年らしい呟きを残しています。ですが目の前で繰り広げられているのは、教え子を傷つけ、犯罪を行った者を尋問する大人と、それに対し挑発するような態度を取った少女との「戦い」です。人は感情を持ってして様々な争いを起こす生き物です。それを前にして正論を主張するベルリも、その誡めた相手を手にかけてしまった事で埒外にはいられなくなりました。

■さて、戦争を題材にしたフィクションでは、冷たい言い方をすれば通過儀礼的な展開なのですが、果たしてこれは悲しいだけのお話なのでしょうか。

デレンセンの駆るエルフ・ブルとの戦いでG-セルフに勝利をもたらしたのは、ベルリがクラウン内で見せた、鞭をかわして懐に入る動作です。あの時のベルリは「常日頃、臨機応変に対処しろとは、大尉殿の教えであります!」と元気に答えました。その後、大気圏の摩擦に巻き込まれた命を救ったのも、リフレクターパックの力で吸収したデレンセン機のエネルギーでした。

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様々な因果関係や思惑を超えて、ただ一つ確実に言える事があります。

生物は周囲のあらゆる物から養分を貰って生きています。それは、どんなに個の能力が高くても逃れられない原理原則です。そして、養分を蓄え成長し、種を残し、また死んでいくのでしょう。

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その生きる過程は、汚して、新しいものに取り替えていく事の繰り返しでもあります。チュチュミィの水だってそうなのですから。

Gレコ雑感 序盤の感触

■1~5話まで暇さえあれば繰り返し観ています。「観てしまう」と形容した方が正しいか。一度観てしまうといつの間にか『Gの閃光』が流れている。 あまりに不明瞭な情報が多い為、面白いかと自問すると自信を持ってYESと言えないのですが、 そこは映像的な吸引力が故なのか、それ以外の何かなのか…。 多分両方だと思うのですが、その辺りを友達に電話でクドクドと説明していたら鬱陶しく感じられたのか 「文章にまとめて整理した方がいい」と言われたので、備忘録の意味も兼ねて、ぽつぽつ書いて行こうかと思います。

■全体的な印象としては、すごく現代人的なお話に感じる。直接的な言い方をしてしまえば、「痛い所を突かれてる感覚」。入ってくる情報の量に比べて、自分自身の実態が伴わなくて、結局は選ぶことよりも一つの思想に迎合したほうが楽だという気風をベルリからは感じますし、アイーダからは、そんな現状を打破したいのだけれど巧くいかずにイライラしている様子を窺えます。

特に「実態が伴わない」という部分については、第3話『モンテーロの圧力』での、ベルリとアイーダの口論のシーンで顕著だったように思うので、ちょっと再現してみます。ついでにカット毎に感じた印象も同時に語っていきます。


※メインの音量外での台詞は聞き取れませんでした。
「戦闘中の○○です。それを○○なんて…」
「あなたがやったという事実は、残っているんです」
「あなたは僕を人殺しって責めていますけど、こちらにも重傷者はいっぱいいるし、キャピタルタワーの周りだってどれだけの被害がでたのか、あなたには解っていないでしょう?」

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まるで赤子を寝かしつけるようなノレドの後方で、感情的に互いの主張を押し付けあう様子が対照的。 富野氏の演出としては標準的なことなのですが、こういう人間ならではのみっともなさの描写が土台になってこそドラマなんですよね。 そしてここで注目したいのは、感情的に相手を言い負かそうとする裏に、互いが信じる理想が見える所。

「……カーヒル大尉は!」
※彼女は一人の男に何を見ていたのでしょうか。愛は全てを救うのでしょうか。

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※自分を見てもらえず理想の王子様の名前ばかりが出てきて面白くないのか、「女の涙」を見て気を許してしまうのが嫌だったのか、はたまた、謝罪の意思はあるのに、こんな態度を取られて苛立っているのか、無言で目を逸らす所作からは様々な印象を喚起させられます。こういった演出力も繰り返しの視聴に耐えうる要因の一つなのかも。

---沈黙を経て、申し訳程度に気分を落ち着かせた2人の会話は多少の理論性を帯びていきます。

「カーヒル大尉は、地球上のエネルギーが、キャピタルタワーに独占されていることを止めさせたかったのです」
「フォトンバッテリーの配給をスコード教によって統制しているのは、人類に宇宙世紀のような間違いをさせない為なんです」
「エネルギーと道具は、道徳的に正しい使い方ができれば…」
「それができなかったから、人類は宇宙世紀に全滅しそうになったんでしょう!」
「カーヒル大尉は---」

僕にはどちらの意見も一理あると思います。ただ、それぞれ「『カーヒル』が正しい」、「『スコード教』が正しい」、と言っているように聞こえ、自己の意見としては少し弱いと感じます。 しかし世界の情勢はこの対立をもってしてか、戦争になってしまう所まで来てしまっている様子。 スコード教の統治も絶対ではなく崩れ去ろうとしているのかもしれないのです。 圧倒的な重圧をもって迫るであろう現実の前で理想を唱える2人を説き伏せるように割って入る大人の一言。

「神にでもなれるような方だったのかな?」

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「……そんな、極端な……」

大人とは極端です。そうしないと危険だからです。理想という不確かであやふやなものだけでは人はついてきません。 だから、現実的に実行できる範疇で決断を下します。そんな立場であろうクンパ・ルシータ(変な名前)からすれば、若い2人の会話は神にでも縋るように聞こえたのかもしれません。

言葉を飲み込んでしまったアイーダに対し、ベルリは何処吹く風という表情。スコード教のやり方が正しいとしているのなら当然ですが、僕にはクンパの意地悪な問いかけが、奇しくもベルリにも充てられる構図になっていると感じました。何故ならクンパは既に軍隊を増強して、力による統治に備えているからです。エネルギーを平和的に配給するという図式は崩れかかっているのですから。

この口喧嘩のシーンひとつを取ってみても、世界観の説明と、キャラクターの人間性や大人と子供の差異等も平行して描写していて、その上で視聴する側がどれか一つの要素でも拾っていればお話が成り立つ辺りがこの作品の懐の深さなのかもしれません。


■そして物語の軸はベルリ君の"気になる女の子を追いかける"という理屈を越えた原理的な"衝動"によって動きだし、世界の関係性が少しづつ明かされていく。

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1話の閉塞感の強いクラウン内、2話のゴチャゴチャとしたキャピタルテリトリィという、不自然なまでに息苦しい視覚情報の連続から抜け出し、この3話では伸び伸びとした地球本来の自然がやっと視聴者に開示されます。 これは、ベルリ自身の視野が広がっていく事と、映像を視聴している者の気分を同期させているのではないか、とも感じます。

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果たしてベルリとアイーダはこの広い世界で何を見て何を掴むのでしょうか。わくわくするなぁ。


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