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Gレコ雑感 画で示す物語の感情

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「…艦長!ベルリ・ゼナムは休ませてください」

■第6話『強敵、デレンセン!』終盤。己の理想に真っ直ぐな余り、周囲に当り散らす事の多かったアイーダが(恐らく)初めて見せた他人を気遣うシーン。この背景には第5話終盤で彼女が明確に意識として持ち始めた「国を率いる者の責任」があるのでしょう。

「想い人を殺した男」として、受け入れることを許せない相手であるベルリを褒め称えねばならなかったアイーダ。己の誇りと死者への尊厳を「現実」で塗り固める姿は、大人としての一歩を踏み出した瞬間であると感じました。異物を受け入れることの痛みに泣き崩れる姿は悲壮感たっぷりですが、エレベーターが「登り」の描写であることが、心理的に「上昇」を示すシーンとして働きかけていたと思えます。これが逆(降り)だったら絶対にそうは感じないでしょう。

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「姫様、聞こえますね!?ベルリ少年をG-セルフに突っ込んでやってください!」
「え?それは無理!無理ですよ!」
「戦闘中は好き嫌いは言わないでいただく!」

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これなんかもう、そのままですよね。うん。下世話な意味も多分に含んでいると思われます。


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落ちて行くG-セルフを海賊軍が取り囲む(迎える)。「仲間」なんて台詞はお仕着せで、嘘臭くなってしまうことを画で語ることで、感情伝達におけるクッションの役割になり語り口が柔らかくなる。目で観て感じる、映像作品のお楽しみってこういう部分なんだと改めて感じさせられます。
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Gレコ雑感 死がもたらすもの



■ベルリがアイーダとの軋轢を生んだ最も大きな要因の一つに「カーヒルを殺した」という事実があります。しかしベルリは人を殺した事よりも、「アイーダに対する借りを作った」という意識の方が大きいようで、自身のやった事に嫌悪感を抱くでもなく、悪びれるでもなく、「借り」であると、ある種の割り切りさえ感じさせる立ち居振る舞いを見せてきました。カーヒルはベルリにしてみれば顔も知らない人物ですから、ある意味当然と言えばそうなのですが、自分の生理的な観点からすると少々「意識のズレ」のような感触がありました。

■しかし、第6話『強敵、デレンセン!』にて、ついにベルリは知人を手にかけてしまいます。その事で今まで希薄だった「人を殺す」という意識が明確に覚醒したようです。ラストシーンで「うそだ!」と慟哭するベルリは、このような事実を受け入れ難い生き方をしてきたであろう事が過去の言動の節々から窺えます。

ベルリはこれまでに「母から軍隊設立については知らされてない」と度々発言していました。しかし、第6話劇中のベッカー大尉の台詞からは、アメリアとゴンドワンの間では既に20年という長期に渡り紛争が続いてることが明かされます。そんな状況でも、軍備の拡大に反対するウィルミット・ゼナムと、その母に抵抗がないベルリが居たのでしょう。 しかし、アメリア軍は艦隊戦を展開し、キャピタルアーミィはクラウンの中継点に過ぎなかったアンダーナットを軍事基地に改修。そこから発進したMSに遭遇したベルリは、その実情を目にして「母さんはキャピタル・アーミィの事を知らな過ぎです」と怒りを露にします。が、同時に、現実を知るのが遅過ぎた自分への憤りもあったのかもしれません。

彼は第1話でも、女の子を引っ叩いたデレンセンを見て「そういう気分でいるから殺し合うような事が起こるんです」と、一見すると正義感に溢れる純粋な少年らしい呟きを残しています。ですが目の前で繰り広げられているのは、教え子を傷つけ、犯罪を行った者を尋問する大人と、それに対し挑発するような態度を取った少女との「戦い」です。人は感情を持ってして様々な争いを起こす生き物です。それを前にして正論を主張するベルリも、その誡めた相手を手にかけてしまった事で埒外にはいられなくなりました。

■さて、戦争を題材にしたフィクションでは、冷たい言い方をすれば通過儀礼的な展開なのですが、果たしてこれは悲しいだけのお話なのでしょうか。

デレンセンの駆るエルフ・ブルとの戦いでG-セルフに勝利をもたらしたのは、ベルリがクラウン内で見せた、鞭をかわして懐に入る動作です。あの時のベルリは「常日頃、臨機応変に対処しろとは、大尉殿の教えであります!」と元気に答えました。その後、大気圏の摩擦に巻き込まれた命を救ったのも、リフレクターパックの力で吸収したデレンセン機のエネルギーでした。

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様々な因果関係や思惑を超えて、ただ一つ確実に言える事があります。

生物は周囲のあらゆる物から養分を貰って生きています。それは、どんなに個の能力が高くても逃れられない原理原則です。そして、養分を蓄え成長し、種を残し、また死んでいくのでしょう。

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その生きる過程は、汚して、新しいものに取り替えていく事の繰り返しでもあります。チュチュミィの水だってそうなのですから。


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