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Gレコ雑感 中盤まで



■歌詞はともかくジャカスカ攻撃的なリズムだったOPも後期ver.になって柔らかいイメージになり良い感じ。というか、聞いてると泣けてくる。何度も見ちゃう。大好き。そして、この期に及んで公式MADな省エネっぷりもエネルギー問題を扱う作品としては正しかったりするのかー!?

■お話の内容の方は何とも行き当たりばったりというか、人物の思考も世界観もイマイチ全容が見えづらくボヤけている。登場人物の中でも取り分け「大人」は、接触する相手に対して、ニコニコしながら腹の底では見下してるような節が強く、大人の老獪さというより、なんだかどちらも滑稽に見える。視聴者としてはキャラクターの「後ろ盾」になるものがイマイチ実感できないからだ。今までの富野アニメには当然の如く根付いていた人間味の表現というより、「定まるものがない」ように演出しているのだろうか。未来がボヤけていて決定的に信じられるものがない。そんな時は自分が一番正しいんだと開き直るとちょっと気が楽になったりする。そういう気分は、情報だけが先行しがちな「夢に嘆く時代」らしさとして、なんとなく実感はある。そんな大人達とは対極的に、真実に近づくにつれ正気を取り戻していくラライヤや、人と人との繋がりこそが大事なのだと実感を得ていくベルリ達若者を見ていると、何となく伝えたい部分が見えてきたような気がする。

■厳密には大人と若者というカテゴリ別けみたいな意識も取っ払っていいように思う。クリム・ニックやマスクなんかは前述した「狡猾なようで滑稽」を体現してる代表だと思うし、かといって政治を任されている年輩連中のような妥協や割り切りも見えず希望という活力に満ちている。その年輩連中だって黙っているかというとそうではなくて、各陣営の代表格が進んで前線に出張ったり動き回る様子を見ていると、なんだか本当に、サッパリしない、歯切れの悪い、猥雑なパワー溢れる作風だと思う。最もそれが富野作品だと言われれば終わりなのだけれど、今作では特にそれを強調して描いているように思うんですよね。人物像というものを型にはめて欲しくないという意識が働いているというか、それだけルーティン化した思考にカウンターを入れたいんじゃないかと邪推してしまう程度には。

■番組が始まる前から「20年後に理解してくれるでしょう(笑顔)」なんて言い切っていたのもあって、今後このアニメの世界観が今よりもっと実感をもって迫ってくる時代がくると想定してのことなのでしょう。改めてそう言われると憂鬱。だけどもだからこそ頑張れよっていう気分が作品から匂ってきますな。うーん、なんだか単純な娯楽としては微妙なんだけど(やたら時間が割かれる戦闘シーンのアイディアなんかも過去の富野アニメを見てきた者なら「もうあきたよ」というものばかりです)先人がこういう気高い心構えを示してくれるというのは後に続くものとしては安心感がありますね。「安心してる場合か!」なんて言われちゃうか。

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